王義之って、なぜ凄い

王羲之は、日本の歴史教科書の中でも書の神様として登場します。その中でも蘭亭序は名品と呼ばれ、ほんまかいな!!と思う逸話がのこっております。

蘭亭序は、皆さん蘭亭に集まってベロベロに酔いながらしゃべくり心を清め、楽しんでいるときに、王羲之さんが上流から笹舟流してゴールまでたどり着くまでに書いたものと言われております。時間どれぐらいあったのか、わかりませんが、清書しても良いものは書けなくて、結果そのときに書いたものが残ったそうです。

心、時代の移り変わりや、死生について、書かれたようです。ほろ酔いの方が僕も書きやすいので、気持ちはよくわかります。が、王羲之の真似は全然できません笑

中国の詩文にはかなりの確率でお酒が関わってます。ほんまに書をする人間はお酒好きな人が多いと思います。

話がそれましたが、実は、王羲之の本物の書は、一切残っておりません。太宗皇帝という方が王羲之が大好きすぎて一緒に埋葬されたようです。現存するものは、全て双鈎塡墨(そうこうてんぼく)という複写技術で敷き写し、されたものです。この複写がオリジナルとなっているのですが、もし本物が見つかれば、前代未聞のことであり、間違いなく中国最高の国宝になるでしょう。

書は時代を超えて人へ意思を伝えることができる芸術です。書の面白さは、こういうところにあるのかもしれませんね。 僕の書いた落書きが1000年後、誰かに読まれるかもしれませんので、真面目に落書きをしようと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

なぞり書きについて

次の記事

浦和と大宮